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【犬OK】ガチでオススメするワンコOKなお宿「古奈別荘」が最高すぎたw 【前編】

静岡県の宿

後に続く、同じ様な病に苦しむ全てのトイプードルの礎になるべく可能な限りの情報を残しておこうと思います。
【プロフィール】
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名前:マロン
年齢:13歳10ヶ月(2006年11月2日生 ー 2020年9月13日没)
性別:男の子
犬種:トイプードル
色:アプリコット → シャンパンゴールド
病気:脳腫瘍の疑い(痙攣発作・群発発作)、肝臓癌(消失)
怪我:前十字靭帯断裂
病歴:先天性骨端壊死
大好物:ささみ!
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名前:ラテ
年齢:1歳(2021年8月7日生)
性別:女の子
犬種:トイプードル
色:レッド →  アプリコット
病気:なし
怪我:なし
病歴:なし
大好物:ささみ!
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【2020年】
4/10:恐れていた痙攣発作が起こる(全身発作・群発発作)
5/20:クッシング症候群の検査の為にエコーを撮ったところ、
   肝臓に3.4cmの腫瘍が見つかる。同時に何もしなければ余命2ヶ月と宣告される。
5/31:藁をもすがる思いで癌の代替療法を実施している「もえぎの動物病院」にたどり着く。同日より「超高濃度ビタミンC点滴療法」&「丸山ワクチン」を開始
6/4:尻尾も上向き、元気が出てきた矢先に慢性気管支炎でゴホゴホと乾いた咳が出る様になる。(喘息の可能性あり)
6/6:深夜2時、7回目の全身大発作。(ここまでで軽度〜中度合わせて30回ほど痙攣)
6/8:右目が充血していることに気付く。ドライアイの可能性あり。眼圧が右27、左10
6/20:両耳から茶褐色のミミくそが出てきたので先生に言ったところ、軽度の「外耳炎」と診断される。
6/23:夜0:30、8回目の大発作(全身痙攣)。2分ほどで治るも、30分徘徊。
6/23:昼12:50、9度目の大発作(全身痙攣)。ソファから飛び出し落下。3分以上続いた為、下剤(ダイアップ)を経腸投与。1時間半ほど徘徊
6/24:深夜2:00、10度目の大発作(全身痙攣)。2分ほどで治る。30分ほど徘徊。
6/25:食べムラが出てくる。食べる量が1日1食程度になり、体重が7.2kg→6.8kgへ
   ※但し10歳まで5.5kg近辺で推移しており、13歳頃から6.5kgへ増加。さらに4/10の癲癇発作以降に7.2kgへ増加した。
6/28:呼びかけに反応しなくなる。耳が聞こえない様子。
7/1:外耳炎が悪化し中耳炎と診断される。右耳は鼓膜はあるが慢性的に腫れている。左耳は鼓膜が溶けていた。
7/21:23:30、11回目の大発作(全身発作)、2分ほどで前回よりも激しくなかった。その後いつも通り一時的に視力喪失、徘徊を15分ほどで復旧
7/24:心音に軽度の雑音アリと診断される
7/25:3:40、12回目の大発作、2分ほどの発作後、視力喪失、30分ほど徘徊する。痙攣のショックでウンチ(軟便)を漏らす
7/26:00:30、13回目の大発作、発作2分、徘徊30分
   同日11:30、14回目の発作(軽度から始まり重度まで)、発作2分、徘徊30分、群発発作と判断し、座薬「ダイアップ」を強制挿入
7/30:頭がカクカクと揺れる
7/31:カクカク揺れが悪化し中発作(ヨダレがダラダラ垂れる)、しかし名前を呼びかけることで痙攣が中断される
8/23:血液検査の結果、各種数値の大幅な改善が見られる。その一方で左目失明、左耳も聞こえなくなる
8/30:両目の角膜に凹みがみられる様になる(まぶた開けて寝てる時に凹み、起きると戻る)

9/10:6:20、15回目の全身発作。2分で治まるも、ヨダレが止まらず口が開いたままで歩行困難になる。群発発作と判断し、ダイアップ8mg(ジアゼパム)を経腸投与。いつもなら寝るはずが、一睡もしなかった様子。仕事が終わらず18時に獣医に行った際に、「発作が終わっておらず、12時間経過していた事」を知らされる。これだけ長い間興奮状態のため、ジアゼパムを点滴投与しても元に戻らないかもしれないと告げられる。夜間は掛り付け医が帰宅してしまい入院すると一人になってしまうため、急変時に対応出来なくなる為、ジアゼパムを注射し2時間病院で寝させた後に自宅に連れて帰ることに。

9/11:2:00、しかし自宅でも眠りにつかず、歩行困難ながらも歩きたがる為に深夜にDVMs横浜動物救急センターに行くことへ。朝6:00まで鎮静剤を段階的に投与するも眠らない為、薄く麻酔を打たれる。朝8:00に迎えにいき、その足で地元の病院にいき、入院することに。9/12夕刻に迎えに行くことに

9/12:15:30、面会に行くも意識不明の状態で、心肺は動いているが、腸と胃が活動停止をし胃液を嘔吐、便も下痢となって漏らしてしまった。(この日は朝8:00にジアゼパムの鎮静剤を切り、時間をかけて覚醒を待っていたが、夕方までに意識が戻らなかった為、院長の判断でもう一泊入院することに)

9/13:7:30、病院から電話があり院長からマロンが亡くなった事を知らされる。院長が朝6:00に出社時はまだ温かった為、息を引き取ったのは推定で5:00。誰にも看取られず、狭い病院の檻の中で13年10ヶ月と10日という短い生涯を閉じた。

9/13:12:00マロンが大好きな自宅に戻ってきた。家族みんなでマロちゃんを囲い、感謝の気持ちとモフモフを後悔のないように撫でてあげた。知り合いのマロちゃんを知ってる人達が駆けつけてくれて花束を沢山くれた。夜はマロンが寂しくない様に皆んなで囲んで眠った。

9/14:16:30横浜山手の葬儀場で最後のお別れをして、荼毘に付した。

10/11:祖父が眠るお墓に納骨をした。